私が高校二年生の時のことです。父が突然倒れてしまい、入院しなければいけなくなったのです。その時の我が家の経済状態はかなり悪く、とても入院費をはらえるような状態ではありませんでした。そこで、母は仕事をしながら、父の看病をすることになりました。そして当然、家計を支える大黒柱である父のいない我が家は困窮を極めることになりました。父は意識を取り戻した後も、しばらくは仕事を続けられるような状態ではなかったのです。しかし、それでも治療代だけは払わなければなりませんでした。その支払いのために、母の貯金はどんどん無くなっていきました。また、それだけでは足りず、家にある物を売りに出したり、借金をしたりするようになりました。その結果、家にあった物は殆ど売り払われてしまったり、借金だけが残ったりと散々なことになりました。そして、まだ高校生だった私は、アルバイトをして何とか生活費のたしを稼ぐくらいの事をしておりました。その上、学校の勉強もあり、さらに家事までもこなすとなると、どう考えても限界がありました。そのため、日に日に疲労が溜まっていったのです。そんな時、転機が訪れました。母方の叔父が援助してくれることになったのです。もちろん、最初は断りました。しかし、叔父の話を聞いていくうちに、だんだんと気持ちが変化していきました。本来なら国がカバーする事だ、それに、みんなで助け合って生きていくのが一番いいのだという内容の話で説得されて窮地をしのぐ事になりました。元の生活に戻ることが出来ましたが、忘れられない経験となりました。

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